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Cyc――常識を手で書こうとした40年

Cycは、人間の常識を機械に一つずつ教え込もうとした1984年開始のAIプロジェクトです。本記事では、Douglas LenatとEuriskoから始まる背景、CycLやマイクロセオリー、OpenCyc、LLMとの違い、そしてニューロシンボリックAIへつながる現在的な意味まで、40年以上の歩みをたどります。

Cyc――常識を手で書こうとした40年
目次

はじめに

Cyc(サイク)は、人間の「常識」をすべて機械に教え込もうとしたプロジェクトです。1984年に始まり、2026年の今も続いています。AIの歴史の中で、ひとつの問いにこれほど長く向き合い続けたプロジェクトはほとんどありません。

Cycはよく「時代に取り残された悲しいプロジェクト」として語られます。たしかに、ChatGPTのような大規模言語モデル(LLM)とは正反対のやり方をとり、表舞台からは遠ざかりました。しかしCycは今も会社として動いていて、使っている人たちもいます。それを「悲しい」の一言で片付けてしまうのは、少し乱暴だと思います。

この記事では、Cycが誰の、どんな問いから生まれ、どこまで進み、何を残したのかを順番にたどります。称賛も批判も、両方紹介します。

前日譚:宇宙艦隊ゲームを制したAI

Cycの話は、生みの親ダグラス・レナート(Douglas Lenat)の若い頃の研究から始めると、ぐっとわかりやすくなります。

数学を「発見」するプログラム AM

1970年代、スタンフォード大学の大学院生だったレナートは、AM(Automated Mathematician)というプログラムを作りました。AMは「面白そうな概念を探す」ための経験則を手がかりに、数の概念を自分で組み立てていきます。そして足し算や掛け算のような算数の基本や、数論のいくつかの定理を「再発見」しました。この研究でレナートは、若手AI研究者に贈られる権威ある賞(IJCAI Computers and Thought Award)を受けています。

経験則そのものを学ぶ Eurisko

AMは数学という一つの分野に閉じていました。そこでレナートは、どんな分野にも使え、さらに「経験則の使い方や直し方」まで自分で学ぶプログラムを作ります。ギリシャ語の「私は発見する」から名付けられた、Euriskoです。

Euriskoを一躍有名にしたのが、1981年の出来事です。Traveller(トラベラー)というSFのウォーゲームに、「1兆クレジットの予算で宇宙艦隊を設計し、戦わせる」という全米大会がありました。分厚いルールブックを読み込み、限られた予算で装甲、エンジン、武器などをどう配分するかを競います。

レナートはこのルールをEuriskoに与え、艦隊を設計させました。人間の参加者が20隻ほどのバランスのよい艦隊を作るなか、Euriskoが出した答えは異様でした。ほとんど動けない同じ型の船を、何十隻も並べたのです。船はどんどん沈みますが、数が多すぎて相手が先に全滅します。Euriskoは優勝しました。

翌1982年、主催者はルールを変え、艦隊の機動力も勝敗に関わるようにしました。するとEuriskoは、損傷した自軍の船をすぐ自沈させれば艦隊全体の機動力の数値が保てる、という抜け道を見つけ、また優勝します。主催者から「次も出て勝ったら大会を廃止する」と告げられ、レナートは出場を辞退しました。代わりに名誉称号「大提督」を受け取ったと伝えられています。

なお、この勝利がどこまでEuriskoの手柄だったのかには議論があります。レナート自身が、成果の半分以上は自分の手によるものだったと語ったとも伝えられています。

勝利が教えた「常識の壁」

このエピソードの本当の教訓は、勝ったことではありません。レナートは後に、人間の参加者はルールに書かれていない部分を「現実ならこうだろう」という感覚で埋めていた、Euriskoにはその先入観がなかった、という趣旨のことを語っています。だからこそ、人間が思いつかない、そして人間なら選ばない答えにたどり着いたのです。

裏を返せば、機械には「書かれていない当たり前」がまったくない、ということです。さらにレナートは、Euriskoに分野ごとの知識を一つひとつ教え込む作業の重さにも行き詰まっていました。この二つの気づきが、Cycの出発点になります。

誕生:きっかけは日本だった

Cycはスタンフォード大学のプロジェクトではありません。生まれた場所はテキサス州オースティンの研究機関MCCで、その誕生には日本が深く関わっています。

1981年、通商産業省(当時)は「第五世代コンピュータ」という国家プロジェクトを発表し、翌1982年に研究所ICOTを立ち上げました。論理に基づいて推論する「知識処理」のコンピュータを10年で作るという、非常に野心的な計画です。

この発表はアメリカに強い危機感を与えました。それに応える形で1982年末、アメリカのコンピュータ・半導体企業が共同で研究コンソーシアムを作ります。これがMCC(Microelectronics and Computer Technology Corporation)です。トップには、国家安全保障局(NSA)の元長官ボビー・レイ・インマンが就きました。

1984年、インマンはスタンフォードで助教授をしていたレナートをMCCに招きます。レナートがMCCの看板となるAI研究として提案したのが、Cycでした。こうしてCycは1984年7月、オースティンで動き始めます。

つまりCycは、日米のAI開発競争のさなかに生まれたプロジェクトだったのです。日本の第五世代プロジェクトは1990年代初めに、期待されたような実用的な成果を残せないまま幕を閉じます。一方、それに対抗して生まれたCycは、40年以上たった今も続いています。

野望:百科事典に「書かれていないこと」を書く

Cycという名前は、百科事典(encyclopedia)から来ています。ただし、目指したのは百科事典の中身を覚えさせることではありません。百科事典を読むために人間が前提にしている、どこにも書かれていない常識のほうでした。

当時のAIの主流は「エキスパートシステム」です。医療診断などの限られた分野では専門家並みの判断ができました。しかし、少しでも想定外のことが起きると、とんでもない答えを出してしまいます。たとえば次のような、人間なら誰でも知っていることを知らないからです。

  • 水は高いところから低いところへ流れる
  • 人は同時に二つの場所にいることはできない
  • 亡くなった人が、もう一度亡くなることはない

こうした当たり前を機械に持たせなければ、AIは脆いままだ。レナートはそう考えました。

本当の計画は「呼び水」だった

ここが、Cycの話でいちばん見落とされがちな点です。レナートは、常識を最後まで全部手で書くつもりだったわけではありません。

彼の構想はこうです。まず人間の手で、十分な量の常識を入れる。それが「呼び水」になって知識のポンプが動き出せば、あとはシステムが自分で文章を読み、自分で実験して学び始める。つまり最終的な目標は、読んで学ぶ機械でした。

この構想は、後の章で大きな意味を持ちます。

なお、Cycを「汎用人工知能(AGI)を目指したプロジェクト」と呼ぶことがあります。目指したものとしては近いのですが、AGIという言葉が広まったのは2000年代以降です。1984年当時の言葉ではありません。

やり方:常識を一つずつ、手で書く

Cycの作り方はシンプルで、そして途方もないものでした。哲学者やプログラマーなど「サイクリスト」と呼ばれる人たちが、世の中の概念と、それらの関係を一つずつ書き込んでいったのです。

  • 鳥には羽がある
  • 親は子どもより年上である
  • AがBの中にあり、BがCの中にあるなら、AはCの中にある

こうした知識は、日本語や英語ではなく、CycLという専用の言語で書かれます。あいまいさのない形で書いておけば、機械が知識を組み合わせて、書かれていない結論を自分で導けるからです。

矛盾を抱えるための工夫「マイクロセオリー」

常識を書き始めると、すぐに困ったことが起きます。人間の知識は、あちこちで矛盾しているのです。

たとえば「ドラゴンは空を飛ぶ」は、物語の中では正しく、現実では正しくありません。人間はこれを、場面によって自然に使い分けています。

Cycはこれを「マイクロセオリー」という仕組みで扱いました。知識を「物語の世界」「現代の物理」「ある国の法律」といった文脈ごとの区画に分けて入れておくのです。こうすると、区画どうしで食い違う知識があっても、全体が破綻しません。地味ですが、Cycの設計の中でいちばん人間らしい部分かもしれません。

規模

40年の積み重ねは、次のような数字になっています。

時点

概念(用語)の数

知識(主張)の数

投じられた労力・費用

1994年

約10万

約100万

―

2002年

―

―

約6,000万ドル、600人年

2017年

約150万

約2,450万

―

2025年の推計

―

約3,000万

約2億ドル、2,000人年

「人年」は、一人が一年働く量のことです。2,000人年は、100人がかりで20年働き続ける量にあたります。

推論について、一つだけ注意

Cycは書かれた知識から論理的に結論を導くので、なぜその答えになったのかをたどることができます。この点は、理由を説明するのが苦手なLLMとは対照的です。

ただし、「Cycは完璧な論理で、決して間違えない」というのは言い過ぎです。答えの正しさは、入力された知識の正しさに左右されます。また、膨大な知識の中で現実的な時間内に答えを出すため、推論にはさまざまな近道や打ち切りの工夫が使われています。「でたらめをでっち上げにくく、根拠を追える」くらいが正確な表現です。

常識を書く難しさ:「ひげを剃っている間、フレッドは人間か?」

常識を論理で書くことがどれほど難しいかを示す、有名なエピソードがあります。1992年のドキュメンタリー番組『The Machine That Changed the World』で紹介された、Cycの「フレッドのひげ剃り」の話です。

ある朝、フレッドという人がひげを剃っている場面をCycに理解させようとしました。

もちろん、Cycは「人間はひげを剃る」という知識を持っています。また、フレッドが電気シェーバーを手に持ってひげを剃っていることも理解できます。さらにCycには、「人が手に持って使っている道具は、ある意味ではその人の身体の一部として扱える」という知識もありました。

ところが、ここで別の知識が効いてきます。

Cycは「人間には電気的な部品がない」ということも知っていました。

すると、「ひげを剃っている最中のフレッド」という状態を考えたとき、手に持っている電気シェーバーまでフレッドの一部として扱われることになります。つまり、Cycの推論の中では「ひげを剃っている最中のフレッドには電気的な部品がある」ということになってしまう。

すると、

「人間には電気的な部品がない」
「ひげを剃っているフレッドには電気的な部品がある」

という二つの知識が衝突します。

人間なら、ここで特に悩みません。「電気シェーバーはフレッドが持っているだけで、フレッド自身が電気的な部品を持っているわけではない」と考えるからです。「身体の延長」という言葉を使う場合も、それが文字どおり身体の一部になるわけではないことを、文脈から自然に理解しています。

ところが、常識を個々の論理的な知識として記述しようとすると、この「自然な理解」が非常に厄介になります。

「人間はひげを剃る」
「人間には電気的な部品がない」
「手に持って使う道具は、ある意味で身体の一部として扱える」

これらは一つひとつ見れば、それほどおかしな知識ではありません。それなのに、組み合わせて推論すると、「ひげを剃っているフレッドは人間なのか?」という、奇妙な問題が発生してしまう。

この話の面白いところは、Cycが「ひげを剃る」という簡単な常識を知らなかったわけではないことです。むしろ、かなり多くの常識を持っていたからこそ問題が起きました。

人間は、「これは比喩的な意味だ」「これは一時的な関係だ」「この属性はここまでしか引き継がれない」といった細かな判断を、ほとんど意識せずに行っています。ところが、それをコンピュータにさせようとすると、一つひとつの知識だけでなく、「その知識をどこまで推論に使ってよいのか」まで記述しなければならない。

フレッドのひげ剃りの話は、Cycが長年取り組んできた「常識をコンピュータに与える」という仕事が、単に常識を大量に登録すれば終わるものではないことを、非常に分かりやすく示しています。

独立と公開:CycorpとOpenCyc

Cycorpの誕生

MCCでの最初の10年の成果を引き継ぎ、1994年末にCycは独立した会社になります。オースティンに本拠を置くCycorpです。資金は政府機関や民間企業から集められ、レナートは亡くなるまでCEOを務めました。

Cycorpは、アメリカ政府や軍、情報機関、科学研究機関などのプロジェクトに関わってきました。2002年には、Cycを使ってネットワークの弱点を洗い出すセキュリティツールも作っています。

OpenCyc:一度は公開された知識

Cycの知識の一部は、一般にも公開されていました。それがOpenCycです。

  • 2002年春:最初の版を公開。概念6,000、知識6万件の小さなものでした。
  • 2006年:研究者向けに、より大きなResearchCycを無償で提供。
  • 2012年6月:最後の版となるOpenCyc 4.0を公開。概念約24万、知識約200万件(多くは「AはBの一種」という分類の知識)。
  • 2017年3月ごろ:公開を終了。Cycorpは、一部だけが切り出されて出回ることで混乱が起き、OpenCycがCycそのものだと誤解されるようになった、と説明しました。

OpenCycは15年にわたって、機械が読める知識の整備に貢献しました。たとえばUMBELという知識の体系は、そのほとんどがOpenCycから取り出したものです。

知識グラフという「親戚」

今、私たちが検索エンジンで人名を調べると、横に経歴や関連人物がまとめて表示されます。その裏にあるのが「知識グラフ」と呼ばれる仕組みです。Wikidataのような公開の知識ベースも同じ考え方に立っています。

これらはCycの直接の子孫というわけではありません。しかし、「世界の物事と、それらの関係を、機械が読める形で持つ」という発想は、Cycが最も早く、最も徹底して追求したものでした。

LLMの登場:「読んで学ぶ機械」は、別の道からやってきた

Cycが常識を書き続けていた間に、AIの主流は大きく変わりました。ルールを人が書くのではなく、大量のデータから機械が自分でパターンを見つける「機械学習」、そしてディープラーニングの時代です。

その到達点の一つが、ChatGPTのような大規模言語モデル(LLM)です。LLMは、インターネット上の膨大な文章を読み込むことで、常識的に見える受け答えを身につけました。誰も「水は下に流れる」と一行ずつ書き込んではいません。

歴史の皮肉

ここで、前の章の「呼び水」の話を思い出してください。レナートが最終的に目指していたのは、文章を読んで自分で学ぶ機械でした。

それを実現したのは、レナートとは正反対の方法でした。常識を手で書いて呼び水にするのではなく、最初から大量の文章を読ませる。レナートの夢見た機械は、彼が選ばなかった道からやってきたのです。Cycの物語でいちばん皮肉で、いちばん考えさせられるのは、この点だと思います。

「負けた」と言い切れない理由

ただし、これを単純に「Cycの敗北」と言い切ることもできません。LLMとCycは、得意と不得意がちょうど裏返しになっています。

LLM

Cyc

知識の得方

大量の文章から自動で学ぶ

人が一つずつ書く

扱える範囲

とても広い

書かれた範囲に限られる

会話のなめらかさ

得意

不得意

もっともらしい誤り(ハルシネーション)

起こりやすい

起こりにくい

答えの理由の説明

苦手

根拠をたどれる

Euriskoの話も思い出すと面白いことに気づきます。Euriskoは先入観がなさすぎて、人間なら選ばない答えを出しました。LLMは逆に、人間の書いた文章から先入観をたっぷり受け継いでいます。そのぶん自然にふるまえますが、正しさは保証されません。Cycは、その中間で「正しさを保証できる常識」を目指した存在だったと言えます。

レナートの最期と、最後の論文

LLMが世界中で話題になった2023年、レナートは一本の論文を発表します。7月に公開された、認知科学者ゲイリー・マーカスとの共著『Getting from Generative AI to Trustworthy AI: What LLMs might learn from Cyc』です。

論文はまず、信頼できるAIが備えるべき性質を16項目挙げます。答えの理由を説明できること、筋道立てて推論できること、相手が何を考えているかを推し量れること、などです。そして、LLMはその多くが苦手だと指摘し、Cycならそれぞれをどう扱えるかを示しました。結論は、LLMとCycのような知識・推論の仕組みを組み合わせるべきだ、というものです。こうした組み合わせは「ニューロシンボリックAI」とも呼ばれます。

そのわずか1か月余り後の2023年8月31日、レナートは胆管がんのため、オースティンで亡くなりました。72歳でした。

生涯をかけたプロジェクトが広く脚光を浴びる姿を見届けることはできませんでした。しかし最後の仕事が、LLMを否定するのではなく、手を組む道を示すものだったことは、記憶しておく価値があると思います。

レナートの死後も、Cycorpは事業を続けると表明しています。

Cycをどう評価するか:称賛と批判

Cycへの評価は、今もはっきり分かれています。どちらか一方だけを紹介するのは公平ではないので、両方を並べます。

称賛:誰も手を出さなかった問いに挑んだ

マーカスはレナートの追悼文の中で、他の誰も手を出す度胸がなかったプロジェクトに挑んだ人物だと評しました。人間の常識という、あまりに大きく、終わりの見えない対象に、40年間正面から取り組んだこと自体が、他に例のない仕事です。

また、知識を概念とその関係として整理する「オントロジー工学」という考え方を早くから打ち出し、後の知識グラフやセマンティックウェブの取り組みにも影響を与えました。

批判:約束されたブレイクスルーは来なかった

一方、厳しい評価もあります。2025年に公開されたYuxi Liuの長文エッセイ「Obituary for Cyc(Cycへの追悼文)」は、資料を丹念に調べたうえで、Cycは汎用的な知能を目指す試みとしては失敗した、と結論づけました。

エッセイによれば、レナートは何度も「ブレイクスルーは近い」と予言しましたが、それは実現しませんでした。また、Cycorpは小さな技術企業としては珍しく長く財務を安定させてきたものの、知られている商用の使われ方は、大手IT企業も提供しているような一般的なデータ統合や情報検索と、機能的には変わらないと指摘しています。Cycならではの「高い知性」が競争上の強みになった証拠は見当たらない、というのです。

二つの評価をどう受け止めるか

「Cycは今も使われている」と、「その用途でCycが特別に優れている」は、分けて考える必要があります。前者は事実です。後者は、少なくとも外からは確かめにくいことです。

そのうえで言えるのは、Cycが「常識を手で書くと何が起きるか」を、誰よりも長く、誰よりも大規模に試した実験だったということです。どこで行き詰まり、何が難しいのかがわかったこと自体が、AIの歴史にとって大きな知見です。

おわりに:問いは戻ってきた

Cycの歴史は「悲しい運命」だったのでしょうか。私は、そうは思いません。

Cycが40年かけて向き合ってきた問いは、今、形を変えて戻ってきています。LLMがもっともらしい嘘をつく問題。AIの答えの理由を説明できないという問題。そして、LLMに信頼できる知識を外から与えるために、知識グラフや検索を組み合わせる試み。どれも、Cycがずっと考えてきたことです。

Cycは、問いの立て方は正しかったけれど、答えへの道筋が時代と噛み合わなかったプロジェクトだったのかもしれません。そして、その道筋がまったくの無駄だったのかどうかは、まだ決着していません。

AIの歴史は、一直線の勝ち負けではなく、いくつもの道が分かれては、また交わる歴史です。Cycはその中で、誰よりも長く一本の道を歩き続けました。その道の先で、今も仕事を続けている人たちがいます。

参考文献

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