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【歴史考察】ベトナムの感染症パンデミックの歴史:19世紀(阮朝時代)に人口の1割を奪った疫病

【歴史考察】ベトナムの感染症パンデミックの歴史:19世紀(阮朝時代)に人口の1割を奪った疫病

2020年、新型コロナウイルス(COVID-19)が世界中で猛威を振るう中、ベトナムは中国と国境を接するという地理的リスクを抱えながらも、極めて強力かつ迅速な封じ込め政策により、感染拡大を驚異的に低く抑え込みました。

この断固たる危機管理の背景には、ベトナムが過去に幾度となく壊滅的なパンデミック(感染症の大流行)に直面し、それを乗り越えてきた「苦難の歴史」があるのかもしれません。

今回は、ベトナム最後の王朝である「阮(グエン)朝」の時代(19世紀)に発生し、国家の存亡を揺るがした2つの巨大なパンデミックについて紐解きます。歴史の記録によれば、1820年から1895年までの75年間で大小70回もの疫病が蔓延していたとされています。

1. 1820年の大流行(人口の1割を奪った疫病)

阮朝がベトナム全土を統一し、国号を「越南(ベトナム)」と定めたのが1804年のことです。そして、初代皇帝・嘉隆帝(ザーロン)が崩御し、第2代・明命帝(ミンマン)の統治が始まった直後の1820年、恐るべき疫病が国を襲いました。

1820年6月、ベトナム南西部(ハティエン等)で感染が始まると、わずか半年後の12月までに全国へ拡大。当時の記録によれば、死者数は206,835人に達しました。当時のベトナムの総人口は正確には不明ですが、戸籍簿(成人男性のみの登録)から推計すると約200万人程度であった(以下の記事を参考)とされています。

Những trận đại dịch ở Việt Nam và Quảng Ngãi trong lịch sử
(Báo Quảng Ngãi)- Hàng nghìn năm qua, trên thế giới đã có những trận đại dịch làm chết hàng triệu người. Việt Nam nói chung, Quảng Ngãi nói riêng, cũng không ngoại lệ. Dù các trang chính sử của các triều đại phong kiến Việt Nam chủ yếu chỉ ghi về các cuộc binh đao, những thay đổi về chính trị, hành chính, nhưng các cuộc đại dịch cũng không hề bỏ sót.
1820年、恐るべき疫病が国を襲う

つまり、「総人口の約10分の1が、わずか半年で死亡した」という、現代の感覚では想像を絶する凄惨なパンデミックでした。

疫病の正体は「コレラ」か

当時の文献には、王が治療のために患者へ「カルダモン(スパイスの一種)」を与えたという記録が残されています。

この疫病の正体は、1817年にインドのベンガル地方で発生し、スリランカ、ミャンマー、タイを経て東南アジア全域へと拡大した「第1次コレラの世界的大流行(パンデミック)」であったと考えられています。(※このコレラはその後、1822年に日本へも上陸し、西日本を中心に猛威を振るいました。)

第1次コレラの世界的大流行

ベトナムはその後も、1839年〜1840年にかけて2回目のコレラ流行に襲われ、数万人が命を落としています。

2. 1849年の大流行(さらなる未曾有の危機)

時代は下り、第4代皇帝・嗣徳帝(トゥドゥック)の治世。ベトナムはさらなる壊滅的な災厄に見舞われます。

1849年12月から始まった大流行は、1850年までの約2年間にわたり国全体を覆い尽くし、最大で589,460人が亡くなったと記録されています。この大流行の2年前(1847年)の推計総人口が300〜400万人であったとすれば、実に「総人口の6〜7人に1人が死亡する」という、国家の屋台骨を粉砕するレベルのパンデミックでした。

この疫病が何であったのか(1848年にイギリス等で流行したコレラか、あるいはインフルエンザや天然痘か)は、当時のベトナムが対外的に国を閉ざしていた(鎖国政策)こともあり、正確な記録が乏しく現在も特定されていません。

当時のベトナムが対外的に国を閉ざしていた(鎖国政策)

3. パンデミックが歴史を変えた可能性

1849年の大流行から約9年後の1858年、フランス軍がダナンに侵攻し、ベトナムは植民地化という悲劇的な運命を辿ることになります。

もし、この直前に発生したパンデミックによって数百万の人口のうち数十万人が失われ、農業生産力や経済力、そして軍事力が著しく低下していなければ、フランスに対する抵抗戦争の歴史は少し違ったものになっていたかもしれません。

また、1887年にフランス領インドシナ連邦が成立した直後(1887年〜1888年)にも、北部で「天然痘」が猛威を振るい、1万人以上が亡くなっています。

実は、この「天然痘」こそが、19世紀のベトナム皇室の継承問題に深く関わり、国家の運命を決定づけた要因であったとする歴史的考察が存在します。(この詳細は、別記事『【歴史秘話】19世紀の感染症(天然痘)がベトナム国家の運命とフランス植民地化に与えた影響』にて解説しています)

19世紀の感染症(天然痘)がベトナム国家の運命に与えた影響 | バイタリフィ アジア
19世紀、フランスの植民地化が進むベトナム阮朝において、ワクチンの普及遅れによる「天然痘」がいかに皇帝の継承問題や国家の弱体化に影響を与えたか。目に見えない感染症が歴史を変えた可能性を独自の視点で考察。

4. 過去の教訓と現在の徹底した公衆衛生

現代のベトナムが、新型コロナウイルスをはじめとする感染症に対して、初期段階から経済的損失を覚悟してでも徹底的な隔離・封じ込め政策をとる背景には、単なる政治体制の問題だけでなく、「一度感染症の蔓延を許せば、脆弱な医療インフラでは国家の存亡に関わる事態を招きかねない」という、長い歴史の中で血肉に刻まれた強烈な危機意識と教訓があると言えるのではないでしょうか。

バイタリフィアジアでは、ホーチミンでの長年のオフショア開発事業を通じて、こうしたベトナムの歴史や文化的背景への理解を深め、現地のビジネス環境に即したリスクマネジメントや情報提供を行っています。ベトナムでのシステム開発やビジネス展開をご検討の際は、ぜひ当社にお気軽にご相談ください。

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