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【歴史秘話】19世紀の感染症(天然痘)がベトナム国家の運命とフランス植民地化に与えた影響

【歴史秘話】19世紀の感染症(天然痘)がベトナム国家の運命とフランス植民地化に与えた影響

19世紀後半、ベトナムはフランスによって植民地化され、過酷な時代を歩むことになります。しかし、歴史の深層を紐解いていくと、単なる軍事力や技術力の差だけでなく、「目に見えない感染症(疫病)」が、ベトナム最後の王朝である「阮(グエン)朝」の運命を決定づける大きな要因であった可能性が浮かび上がってきます。

今回は、予防ワクチンの普及のタイムラグがいかにして歴史を変えたのか、その知られざる歴史秘話をご紹介します。

1. 阮朝の成立と、フランスへ渡った王子

18世紀末、ベトナム全土を支配していた西山(タイソン)朝に対し、生き延びた広南国の王族・阮福暎(グエン・フック・アイン)が反旗を翻します。彼はフランス人宣教師ピニョー・ド・ベーヌの支援を受け、自らの5歳の息子である阮福景(グエン・フック・カイン)をフランスへ向かわせ、ルイ16世と軍事援助の条約を結びます。

阮3兄弟像
フランスで描かれた阮福景(まだ子供だったことがわかる)

フランス側の直接的な軍事支援は革命の勃発により限定的でしたが、ピニョー個人の尽力もあり、阮福暎は1802年にベトナムを再統一。初代皇帝・嘉隆帝(ザロン)として阮朝を打ち立てました。

ピニョー・ド・ベーヌ

フランスへ渡りキリスト教の影響を強く受けた王子・阮福景は、帰国後も西欧文化に理解を示していました。もし彼が順当に第2代皇帝になっていれば、その後のベトナムが国を閉ざし、宣教師を弾圧してフランスの軍事介入(植民地化)の口実を与えることはなかったかもしれません。

宣教師を弾圧

2. ベトナムの歴史を変えた1度目の悲劇(天然痘)

しかし1801年、その後のベトナムの運命を狂わせる出来事が発生します。
皇太子であった阮福景が、わずか21歳で「天然痘」に感染し、命を落としてしまったのです。

サイゴン大教会 (聖母マリア教会) の前にあるマリア像は、植民地時代、幼い阮福景を連れたピニョーの像だった。

この時期、遠く離れたイギリスではエドワード・ジェンナーが「牛痘」を用いた安全な天然痘ワクチン(種痘)を発表(1798年)し、ヨーロッパの王族を中心に急速に普及し始めていました。もし彼がもう少し長くヨーロッパに滞在し、ワクチンを接種できていれば、歴史は全く異なる方向へ進んでいた可能性があります。

阮福景の死後、皇帝の座は異母弟である明命帝(ミンマン)に引き継がれました。儒教を重んじ、保守的であった彼は西欧の干渉を嫌い、後にキリスト教への弾圧を強め、それがフランス侵攻の火種となっていきます。

2代皇帝の明命帝(ミンマン)

3. 世界を巡ったワクチンと、失われた伝承

スペイン帝国は、自国の広大な植民地へ天然痘ワクチンを届けるため、孤児の腕から腕へと牛痘を接種し繋いでいくという壮大なプロジェクト(Balmis Expedition)を実施し、1805年にはベトナムの隣であるマカオにまでワクチンを到達させていました。

天然痘のワクチンがアジアに来た

1820年、息子を天然痘で亡くした初代・嘉隆帝は、フランス人医師に命じてマカオからワクチン(牛痘)を持ち帰らせました。帰国した医師は、第2代・明命帝の王子(後の第3代・紹治帝)に予防接種を施すことに成功します。

しかし、このフランス人医師が直後にコレラで病死してしまったことや、明命帝が西洋医学よりも中国の伝統医学へ回帰する政策をとったことで、せっかくベトナムに伝わったワクチンの技術は継承されず、途絶えてしまいました。

4. ベトナムの歴史を変えた2度目の悲劇

そして1845年、第3代・紹治帝の息子であり、後に第4代皇帝となる嗣徳帝(トゥドゥック)が15歳で天然痘に感染します。

4代皇帝の嗣徳帝(トゥドゥック)

彼は一命を取り留めたものの、その後遺症により極端に虚弱な体質となり、不妊症になってしまったと記録されています。彼には100人以上の妻がいたにもかかわらず、跡継ぎとなる実子が一人も生まれませんでした。

この嗣徳帝の時代(1858年)に、フランス軍がダナンに侵攻し、本格的な武力介入が始まります。

実子がいない嗣徳帝は3人の甥を養子に迎えますが、これが宮廷内に深刻な派閥争いを生み出しました。1883年に嗣徳帝が崩御すると、その後わずか1年の間に4人もの皇帝が即位しては毒殺・廃位されるという異常事態に陥ります。

清仏戦争という国家存亡の危機において、指導部が内紛で崩壊状態にあった阮朝はフランスに抵抗する力を完全に失い、結果として1887年、フランス領インドシナ連邦の成立(完全な植民地化)を許してしまうことになります。

5. タイムラグがもたらした歴史の「if」

もし、マカオから持ち込まれたワクチンの技術がベトナム宮廷に定着し、第4代・嗣徳帝に予防接種が行われていたら。

彼が健康な体でリーダーシップを発揮し、実の息子への安定した皇位継承が行われていれば、ベトナムはフランスの侵略に対してより強固な国家体制で立ち向かえたかもしれません。(※ちなみにベトナムで一般市民への天然痘の強制予防接種が法制化されたのは、フランス植民地政府によってパスツール研究所が設立された後の1902年のことです)

パスツール研究所

現代の世界を揺るがす新型コロナウイルスなど、歴史を振り返れば「感染症」と「医療技術(ワクチン)の普及のタイムラグ」が、軍事力以上に国家の盛衰を左右してきたことが分かります。

バイタリフィアジアでは、ホーチミンに拠点を構え、こうしたベトナムの深い歴史的背景や社会構造への理解をベースに、現地のIT市場やビジネス環境の分析を行っています。ベトナムでのオフショア開発や、現地社会に根ざしたITビジネスの展開をご検討の際は、ぜひ当社にお気軽にご相談ください。

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