【歴史考察:後編】南部仏印進駐におけるサイゴン駐屯地の特定と戦後のインフラ変遷

※本記事は技術ブログの特別企画として、1941年の「南部仏印進駐」における日本軍のサイゴン駐屯地を紐解く歴史的考察のアーカイブ記事(後編)です。近代ベトナムの歴史的背景を知るエバーグリーンコンテンツとしてご参照ください。
(※前編では、現存する数枚の写真と古地図を元に、日本軍の上陸地点(4区)からベンタイン市場前広場での「サイゴン入城式」までの行軍ルートを特定しました。)

今回は、式典を終えた日本軍が「サイゴンのどこに駐屯したのか?」という謎に迫ります。
写真資料が存在しない中、防衛研究所に残されたわずかな文章記録と、当時の状況証拠から2つの駐屯地の場所を探し出しました。
1. 唯一の手がかり:防衛研究所の記録
日本軍の駐屯地について、防衛研究所の資料「日本陸軍の仏印駐留に係る諸問題」には、以下のようなごく短い記述が残されています。
「サイゴンでの宿営地の一つは、当時のシャスルローバ通りに面した学校を接収した建物で、3階建てであった。歩兵第82連隊は、そこに連隊本部、直轄部隊、そして、1個大隊を収容した。」
「また、サイゴンでは、既存の施設を使用するだけでなく、兵舎を新設している。場所はサイゴンと隣町のショロン(チョロン)の中間で、サイゴンの街の中心部から歩いて20分ほどのところであった。また、演習場としていたのは、各兵舎から近いところにある無電塔の下の広場であった。」
2. 駐屯地その1:「シャスルローバ通りの学校」とは?
当時のフランス語の古地図(1937年版)から

「シャスルローバ通り(Rue Chasseloup Laubat)」を探し出すと、それは現在のホーチミン市中心部を走るグエンティミンカイ通り(Nguyễn Thị Minh Khai)であることが分かりました。
そして、この通りに面した学校といえば、カンボジアのシアヌーク前国王も卒業した名門校「Lycée Chasseloup Laubat(シャスルローバ高校)」です。ここは現在のレクイドン(Lê Quý Đôn)中学校・高校にあたる場所です。
ここが駐屯地(連隊本部)であったと推定する理由は以下の3点です。
- 戦略的立地:道路を挟んだ隣が、フランス側のトップであるインドシナ総督が住む「ノロドム宮殿(現・統一会堂)」であり、フランス側への心理的圧力と監視に最適。

- 建物の規模:3階建てで敷地が広く、1個大隊(約700~800名)の収容に十分なスペースがある。

- 日本領事館との隣接:ノロドム宮殿と反対側の通りを挟んだ向かい側(現 22 Võ Văn Tần)に、当時の「日本領事館」が存在しており、即座に連絡を取ることが可能だった。

現在の22 Võ Văn Tần付近の地図。
3. 駐屯地その2:「無電塔の下の新設兵舎」はどこか?
「サイゴンとチョロンの中間」「中心部から徒歩20分」「無電塔の下の広場」という記述を元に、謎だらけの第2の駐屯地を探します。
まず最大のヒントである「無電塔」ですが、1930年代初頭に撮影されたサイゴン上空の古い航空写真を丹念に探した結果、画面上部に巨大な細長い鉄塔群(8〜10本)が写っているのを発見しました。

日本の「依佐美送信所(高さ250mの鉄塔8本)」と同等の、フランス本国と直接通信するための巨大な長波無線送信施設が存在したと考えられます。
その航空写真に写り込んでいる特徴的な教会(1905年建造のHuyen Sy教会)の位置とサイゴン川の方角から逆算すると、


無電塔が存在した広場は、現在のホーチミン市1区グエンクーチン(Nguyễn Cư Trinh)エリアの西側一帯であると推定できます。

ここは確かにサイゴン中心部(ベンタイン市場)とチョロン(華人街)のちょうど中間に位置します。
戦後の古地図が示す痕跡
日本軍が新設した兵舎は、戦後どうなったのでしょうか?
1946年の古地図(戦後に進駐したイギリス軍が作成)を確認すると、

無電塔があった空白エリアに「Regiment Annamite(安南連隊駐屯地)」という巨大な軍事施設が記載されていました。

日本の敗戦による権力の空白と混乱期に、これほど大規模な兵舎をゼロから新設するのは不可能です。つまり、戦後に進駐した英・仏軍が、日本軍が構築したコンクリート床・水洗トイレ完備の立派な兵舎をそのまま再利用し、現地の部隊を駐屯させたと考えるのが自然ではないでしょうか。
ここは現在、Co.op Mart(スーパーマーケット)等がある一帯です。
4. 行軍ルートが分かれた理由
前編の写真で、ベンタイン市場前の広場から部隊が2方向に分かれて進んでいく様子が確認できました。2つの駐屯地の場所が特定できたことで、その理由が完全に紐解けます。

- 車両部隊(連隊本部):ベンタイン市場から現レロイ通りを経てナムキーコイギア通りへ進み、駐屯地1である「シャスルローバ高校(現レクイドン高校)」へ。
- 自転車部隊:広場からサイゴン駅(現9月23日公園)の左脇を通る現ファングーラオ通りを突き当りまで進み、駐屯地2である「無電塔下の新設兵舎」へ。

この理路整然とした動線は、事前の緻密な計画に基づいていたことを証明しています。
5. 入城式の実施日時と、その後の歴史
当時の海外新聞(ARGUS)やニュース映像の影の向き(太陽の角度)を分析した結果、このサイゴン入城式は1941年7月31日(木)の朝6時〜9時にかけて実施されたことが判明しました。

この南部仏印進駐により対米関係は決定的に悪化し、太平洋戦争(日米開戦)へと突入します。
開戦直後の「マレー沖海戦」でイギリス東洋艦隊を撃滅した日本の攻撃機は、まさにこの時に確保したサイゴン基地(現タンソンニャット空港周辺)などから飛び立ちました。

時は流れ、現在。
日本軍の降伏式典が行われたタンソンニャット空港の国際線ターミナルは日本のODAによって建設され、

サイゴン入城式のメイン会場だったベンタイン市場前でも、日本の支援による地下鉄工事が進められています。

また、旧駐屯地であった学校の敷地には「ホーチミン市村山富市日本語学校」が開設され、もう一つの駐屯地跡付近には日系高級ホテル「ホテルニッコーサイゴン」が建ち、多くの日本人が利用しています。
過去の不幸な歴史を乗り越え、現在の日越関係はかつてないほど強固なビジネスパートナーへと結実しています。
バイタリフィアジアでは、ホーチミンでの10年以上にわたるオフショア開発事業を通じて、こうしたベトナムの深い歴史的背景や社会構造への理解をベースに、現地のビジネス環境を分析しています。ベトナムでのITシステム開発やテストマーケティングをご検討の際は、ぜひ当社にお気軽にご相談ください。
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