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【歴史考察:前編】1941年 南部仏印進駐における日本軍サイゴン入城の軌跡と古地図分析

【歴史考察:前編】1941年 南部仏印進駐における日本軍サイゴン入城の軌跡と古地図分析

※本記事は技術ブログの特別企画として、1941年の「南部仏印進駐」における日本軍のサイゴン入城の軌跡を紐解く歴史的考察のアーカイブ記事(前編)です。近代ベトナムの歴史的背景を知るエバーグリーンコンテンツとしてご参照ください。

1941年(昭和16年)、太平洋戦争への回帰不能点(Point of No Return)と呼ばれる歴史的事件が起きました。「南部仏印進駐」です。

「南部仏印進駐

南方の戦略物資獲得と作戦基地確保のため、日本軍はフランス領インドシナ南部(現在のベトナム南部)へ進駐しました。この行動がアメリカの対日石油全面禁輸を招き、日米開戦の決定的な契機となりました。

しかし、日本軍がサイゴン(現在のホーチミン市)に進駐した際、「具体的に市内のどこを上陸・行軍したのか」を示す記録は、現存する数枚の写真とごく短いニュース映像しかありません。

今回は、それらの貴重な映像資料と、当時のフランス製古地図、そして現在のGoogleマップとストリートビューを照合し、日本軍の「サイゴン入城の軌跡」を特定するという歴史の謎解きに挑戦します。

1. 上陸地点の特定:4区の倉庫街

まずは当時のニュース映像(NHK戦争証言アーカイブス等)から読み解きます。映像には、広大な倉庫があり、荷下ろし用の軌道(線路)が敷かれた埠頭から部隊が上陸する様子が映っています。

大量の倉庫
荷下ろしと部隊を整えられるだけのスペースもあり、かつ荷物運搬用の軌道/線路がある

1946年作成のサイゴンの古地図(戦後イギリス軍が作成したもの)と照らし合わせると、川沿いに「Army and Navy godowns(陸海軍倉庫)」と軌道が存在するエリアがあります。これにより、上陸地点は現在のホーチミン市4区にあるサイゴン川沿いの倉庫街(埠頭)であると考えられます。

上陸地点は現在のホーチミン市4区にあるサイゴン川沿いの倉庫街(埠頭)

2. 特徴的な「GARAGE」の建物はどこか?

南部仏印進駐の代表的な写真の一つに、背景に「GARAGE」という看板を掲げた特徴的なアーチ状の建物が写っているものがあります。

「GARAGE」という看板を掲げた特徴的なアーチ状の建物

先ほどのニュース映像を細かく確認すると、上陸地点の倉庫壁面に「CHARGEURS REUNIS(当時のフランスの海運・旅客会社)」の文字が確認できました。

「CHARGEURS REUNIS(当時のフランスの海運・旅客会社)」の文字

そして、この会社の過去の空撮写真(1931年)や、

過去の空撮写真(1931年)

30年後の1961年に撮影されたLIFE誌の航空写真を丹念に探し出すと、同じアーチ状の建物が写り込んでいます。

30年後の1961年に撮影されたLIFE誌の航空写真
同じアーチ状の建物
同じアーチ状の建物

そして、現在のGoogleマップと位置関係を照合した結果、

現在のGoogleマップと位置関係を照合

この建物は現在のホーチミン市の4区「Nguyen Tat Thanh通り」と「Ngo Van So通り」が交わる場所(住所:298 Nguyen Tat Thanh)に存在していたことが判ります。

Google Maps
Find local businesses, view maps and get driving directions in Google Maps.

さらに調査を進めると、この「GARAGE」は当時サイゴンで有名だったフランスの自動車メーカー「Citroen(シトロエン)」の車両格納・販売ガレージであったことが分かりました。(※現在は窓がコンクリートで塞がれ、建物の姿は失われつつあります)

当時サイゴンで有名だったフランスの自動車メーカー「Citroen(シトロエン)」
「Citroen(シトロエン)」の車両格納・販売ガレージ

【おまけ】空母「USS Core」の数奇な縁

1961年のLIFE誌の写真には、米軍の護衛空母「USS Core」がサイゴン港にヘリコプターや兵員を輸送している姿が写っていました(ベトナム戦争への本格介入の始まり)。

米軍の護衛空母「USS Core」がサイゴン港にヘリコプターや兵員を輸送している姿

興味深いことに、この空母は第二次大戦の日本降伏後、太平洋各地にいたアメリカ兵を帰還させる「魔法の絨毯作戦」に参加し、日本の横須賀にも寄港していたという数奇な縁がありました。

3. 行軍ルートの特定:橋とヨーロッパ建築

上陸した部隊の行軍ルートを追います。

ニュース映像には「線路が敷かれた橋」を渡る部隊の姿があります。

「線路が敷かれた橋」を渡る部隊の姿

先ほどの古地図で上陸地点から北西へ進むと、

先ほどの古地図

4区と1区の境界にある運河に「Swing bridge Rail and Road」と記された橋があります。これは現在の「Khánh Hội (カインホイ)橋」であることが判ります。

現在のKhánh Hội (カインホイ)橋

橋を渡った部隊は、石造りの重厚な建物と円形の柱が特徴的な通りへ入ります。

石造りの重厚な建物と円形の柱が特徴的な通り

この石造りの建物は当時の「チャータード銀行」であり、現在もベトナム中央銀行の施設として利用されています。ここは「Hồ Tùng Mậu(ホートゥンマウ)通り」の入り口である事が判ります。

現在の「Hồ Tùng Mậu(ホートゥンマウ)通り」の入り口

4. サイゴン入城式のメイン会場:ベンタイン市場前広場

さらに進むと、手前に広々とした空間があり、奥に特徴的な建物が写る写真が登場します。

手前に広々とした空間があり、奥に特徴的な建物が写る写真

この広場の形状と奥の建物から、ここが現在でも観光地として有名な「ベンタイン市場」前の広場(クアックティチャン広場周辺)であることが分かります。

当時の古写真や古地図を見ると、この広場には路面電車の線路が走っており、

「ベンタイン市場」前の広場(クアックティチャン広場周辺)の当時の写真

それが以下のアジア歴史資料センターで公開されている「写真週報」181号(昭和16年8月13日号)の写真に写る自転車部隊と交差する軌道と完全に一致します。

アジア歴史資料センターで公開されている「写真週報」181号(昭和16年8月13日号)にも掲載されている写真のカラー版

さらに、背後に「CHEMINS DE FER(フランス語で『鉄道』)」という看板を掲げた3階建ての高い建物と、

「CHEMINS DE FER(フランス語で『鉄道』)」という看板を掲げた3階建ての高い建物

ドーム型の屋根を持つ駅舎が写っている別アングルの写真から、

ドーム型の屋根を持つ駅舎が写っている別アングルの写真

この場所が当時存在したサイゴン駅(現在の9月23日公園の場所)のすぐ横であったことも確定しました。

後年(1940年代後半~1950年代?)に撮影された航空写真

つまり、日本軍はホートゥンマウ通りからハムギー(Ham Nghi)通りを抜け、ベンタイン市場前の広場に到達。ここをメイン会場として、小林隆少将による「サイゴン入城式(閲兵式)」の大々的なセレモニーが実施されたのです。

、小林隆少将による「サイゴン入城式(閲兵式)」
日本軍はホートゥンマウ通りからハムギー(Ham Nghi)通りを抜け、ベンタイン市場前の広場に到達。ここをメイン会場として、小林隆少将による「サイゴン入城式(閲兵式)」の大々的なセレモニーが実施されたと考えられる。

5. 式典後の謎(次なる目的地)

さて、ベンタイン市場前で入城式を終えた後、日本軍はサイゴン市内のどこへ向かい、どこに駐屯したのでしょうか?ニュース映像には、車両部隊と自転車部隊が広場を起点にして「2つの異なる方向」へ分かれて進んでいく様子が写っています。

現存するわずかな文献記録と、今回特定したルート、そして当時の都市計画の状況証拠を組み合わせることで、彼らが向かった「2つの駐屯地」の場所を推測することが可能です。

長くなりましたので、その謎解きの続きは【後編】南部仏印進駐での「日本軍サイゴン入城、その後」を解明するにて解説します。

南部仏印進駐の歴史考察:サイゴン駐屯地の特定と戦後の変遷 | バイタリフィ アジア
1941年の南部仏印進駐において、サイゴンに入城した日本軍はどこに駐屯したのか?防衛研究所の記録や古地図、航空写真の状況証拠から「シャスルローバ通りの学校」と「無電塔下の新設兵舎」の場所を特定する歴史的考察。

バイタリフィアジアでは、ホーチミンに拠点を構え、こうした現地の深い歴史的背景や都市の変遷を理解した上で、ITビジネスやオフショア開発を展開しています。ベトナムでのシステム開発やテストマーケティングをご検討の際は、ぜひ当社にお気軽にご相談ください。

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